「いけださんに圧倒的に足りてないのは、情報理論的なエントロピーなんだよね」って言われたので考えてみた
そもそもエントロピーって言葉の正確な意味がわかってなかった。
熱力学および統計力学において定義される示量性状態量である。当初は熱力学において、断熱変化の不可逆性を表す指標として導入され、後に統計力学により、系の微視的な「乱雑さ」を表す物理量という意味付けがなされた。 更に、系から得られる情報に関係があることが指摘され、情報理論にも応用されるようになった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%94%E3%83%BC
乱雑さ ってんならなんとなくわかる。
(血液型占いなんてアテにしてないけど、良く聞く言葉なので)A型だから几帳面さがにじみ出てるんだね。って。
次に 情報理論的な って意味合いだとどうなるのかなと。
情報科学の分野では、このエントロピーを「事象の不確かさ」として考え、ある情報による不確かさの減少分が、その情報の「情報量」であると考える。情報を受け取る前後の不確かさの相対値を「情報エントロピー」という。
http://e-words.jp/w/E68385E5A0B1E382A8E383B3E38388E383ADE38394E383BC.html
ふむふむ。
要するに 「冬に空から降ってくる白くて冷たいものと言えば?」 という質問に対しての解答はほとんどの場合に「雪」だろうから、情報理論的なエントロピーとしては少ない(低い?)と言えるけど、
「白いものと言えば?」という質問になった途端に、「砂糖」とか「牛乳」とか「ミルク」とか「今日履いてるパンツ」とか解答になりうるものが増えてくる。この状態を情報理論的なエントロピーとしては多い(高い?)と呼ぶのかな。
で、表題の「いけださんに圧倒的に足りていない、情報理論的なエントロピー」は何の事かというと、ある問いかけに対する解答が予測可能とか、いつもだいたい同じとか、そういう印象を持たせてしまっているから「情報理論的なエントロピーが足りない」=「ワンパターン(?)」という話なのかな。
ワンパターンって言えばそうだよな。FacebookでもTwitterでも、だいたい頻繁に使う言葉や相づちって、予測変換の候補で選択しやすい位置に出てくるから、ついつい使ってしまうし(死語だけど)マイブームもある。
日々の行動というか、生活リズムも然程大きな変化は無くて、たまに夜中に起きた時もだいたい Youtubeで聖飢魔Ⅱの楽曲聞いたり、ラリーやジムカーナといったモータースポーツの動画を見て過ごしてる。たしかにワンパターンと言える。
外食もそうだな。一人で何か食べるならだいたいラーメン。それも(あちこち移動したり並んだりするのが嫌なのもあるけど)だいたい同じ店。居る地域によって、どのラーメン屋に行くかが異なる程度。
着るものも。仕事以外なら履物は雪駄。赤いシャツか赤いズボンだし、そんなにたくさん衣服を所有しているわけじゃないし。
なんなんだろうな、これ。生きるワンパターンかよっていうね。
ただ、こうやって考えてみて、文字に並べてみて「少なくとも、これからも子どもたちと過ごして行くからには予測不能な父さんで居続けたい」って思った。
些細な事からも子ども達に新しい発見とか、喜びや驚きを感じて貰いたいから。
そのためにも、まだまだ好奇心旺盛な少年のココロを忘れちゃいかんな。と。
しかし、なんだこのノートw